ホントは、自分の居場所が無かった時があった
タイトルの通り分かるかと思いますが、、、
実は、そうなんだよね。
僕は、小さい時から病弱でありながら障がいを持って生まれてきたのだから、、、
何歳の頃かな?いつの頃かは、覚えてないけど心はどこかで気付いてて
家族の様子を見ながら自分は思った。「僕と違うんだな、、、」と思った。
心臓が弱く、小学4年くらいかなぁ?
心臓発作が起きると、いつも家にいて安静にしてたし少し調子が良い時は、
自分の部屋の窓から開けては、眺めてたことがある。
知らない人が時々通って行くのを見ては、楽しそうだなぁ~・・・とか
何を喋ってるんだろう?とか
小学生から高校生くらいの人が、自転車で乗ってて走って行くのを見えると
あぁこれも楽しそうだなぁ~!とか、羨ましく思っていた毎日あった。
僕は、現在は、僕が居て4人兄弟。
僕が兄で、弟が3人で健常者。もちろん家族も健康だよ。
弟が、お友達が家へやって来るとワイワイしながら外へ飛び出していく様子も
ホント羨ましかったのを覚えてます。
で、その頃は、祖母がまだ元気だったので僕の事を病気を持っていながら何も出来ないのを知ってて見てると辛かったのかな?
祖母は、必ず言っていた言葉は、
「何か欲しいおもちゃとかある?あるなら買ってあげるよ」って凄く覚えてます。
色々買ってくれてたのも覚えてる。
でもね、家族へは言えなかった自分があるんだよね。。。
何も出来ない自分が嫌になって、何回か家族へケンカしたことある。
なのに、また、自分自身で閉じこもるような耐え方していたのと、
今改めて思い返してみると、誰にも迷惑掛けたくない!ってのが強く思っていたし、
恨んだってどうすることも出来ないし、したとしても病気が治るわけじゃないから
ずぅ~っと我慢して我慢して耐えていた自分があったのを今もさすがに現在も耐えてる。
少しずつ年齢が、大人へに近づいてくると
居場所がだんだん狭くなっていくのが気付いて、もう遅かったんだよね。
まず、最初っから実際の友達が居ない。
居るのと居ないのとは、全く違ってくる。
今、考えると居ないよりは、居た方が一番大事だと言うことが凄く分かる。
例えば、相談相手にもなるし、何かあればお互いに助け合えることも出来る。
友達の大切さを凄く感じる。
だから、その差がだいぶ違うことになる。
「人とは何か?」「繋がりとは何か?」
僕は、小さい頃から友達が居なかったから慣れっこになっているし、
これが一番良くないのを知ってる。
ある時に、心臓が苦しくなってきつくなって無理になって、入院してこのキッカケで
心臓手術を3回して、ようやく良くなった。
初めて、動けるようになってから自分の足で踏み入れたのは、
もうね、、、アポロのじゃないけど(笑)
足跡を踏む記念みたいなもんだった。
けど、医者がこう言われたのは、心臓手術するけど「人生180度変わっちゃうよ?いいの?」と質問で投げかけてきたのを今でも、覚えてる。
何の意味だったか、僕はその時まだ分かってなかったんだよね。
確かに、今になるとホントに自分の足で歩いて、自分の力で歩かなきゃ行けないし生きていくのも自分。息吹を吹き込むような気持ちだった。
学校は、数年後してすぐにバイトになり、アルバイトは3件くらい経験。
その間は、まだぜっぜん友達作りなんて出来る時間もなかった。
気付けば、今になってパートだ(笑)今でも大変です。
確かに自分の周りは居ないけれど、最近になって気付いてきた素晴らしさは
ネットの繋がり、そして、ネット上だから文字しか表せれないけれど・・・
凄いなー!って思う。
一番、僕が気にかけているのは・・・・
今は、右目は見えないけれど、もし両目が見えていたらどんな感じで見えていただろうか?
右耳は全く聞こえなくて、左耳はデジタル補聴器でいるけど、もし両耳が聞こえていたらどんな感じに聞こえていただろうか?
心臓が、本当に健康な人と変わらない人になっていたら、きっと何でも出来ていたんだろうな!とか、夢というか、もの凄く膨らむんだよね(笑)
僕は、色んな意味で疑問や気になると、とことん考える方だったので、
本当の自然の音はどんなの?
人の声って生だから、どんな感じに聴こえるんだろうか?
まぁ、思ってもなかった当たり前な言葉だけど、自分ながら障がいだからとか健常者が羨ましいからじゃなく、人間の生き方ってこれだけ、命の大切さを感じられる。
だから、僕は確かに、数年掛かって居場所は無かったけれど
何よりも大事なことは、「楽しさを作れ!」という言葉の発見と言うか、
答えを見つけれたのだから今は、それで十分になってる。
今、生きていて発見したことは、ほんっとに当たり前なことです。
目を見れば、2つ目じゃなくても1つでも見れる。
映像なら、音がなくても見て、そのモノの景色は表現がある。
太陽が上っていけば、光がスゥ~と入っていくし、葉っぱを見れば光に当たって
美しく見えてくる、水滴があればキラキラと輝く。
鳥、魚、様々な事で、目を観る力は発揮して凄いことに情報が、心の中へ飛び込んでいく。
聴こえなくても、手話があれば言葉になる。文字を書き出せばそれなりに分かる。
耳だったら、2つあるとだいぶ違うのかもしれないけど、1つあっても聴こえる。
聴力が弱くても、補聴器を使えば相棒として、音の表現を拾ってくれる。
風・雨・雷・鳥の声・葉と葉を擦れ合った音、、、いくつものが沢山自分の心へ情報が入ってくる。
例え、目が見えなくなったとしても、音だけが残っていても聞き分けれる。
それだけじゃない、匂いも、情報になる。
香りは、香水、花、空気、色々ある。全部、自分の体へ入っていく
人間ってもの凄い力を発揮してくる。
どっちも、どこかで壊れていても体が補うように出来ている。
人間のちからって凄いよね。
僕は、普通にひたすら、ひたすらだけれど、ただ明日へ、未来へ、と思う気持ちと
ネットの世界、Twitterや色々あるけど、大事に楽しく尊敬してがんばろうかな!
って僕の心は笑顔で絶えないように強気自分!と言う気持ちに、今は走っている。
そして、自分らしさを見つけたのは、「楽しく、笑顔」かな?
まだまだ、居場所を見つかるまで?
足りないものがいっぱいあるけど、前向きで走って行くさ!!!
それが、僕の「道」
文章の綴りが、間違いがあるかと思うけどスイマセン。。。