The best way 651's diary

どんな事があっても、自分自身で前向きにひたすら歩き続ける。1歩1歩の楽しさを感じよう!

自分を乗り越えた人生

◆1976年12月24日、新潟で生まれる。

心臓障害(ファロー四徴症)、重度の両耳、

(右耳は鼓膜は生きているものの聴こえない。)

(左耳は、重度により補聴器を付ければ聴こえる。)

 

◆2・3才になって、右目が痛み出すと仕草をする...

祖母一緒に、東京がんセンター中央病院へ入院。

片目よりも、両目を摘出しかねないと言う医師、簡単に言うと

転移し易い場所だった事。そうならないようにするためとだったらしいが

ある日。手術前に、再確認に超音波(エコー)で、やってみたら、

右目が癌があったはずが、両目にも転移にも見られない。

右目は、網膜剥離として失明してしまったが、奇跡的に消えた事で、

手術せずにそのまま返され退院してもよい、となった。

現在は、左目だけ大事にして、楽しく景色を見たり色んな場面を見てる。

 

詳細 - 第一章 - に書かれている。

 

 

◆ ー小学生時代ー

5年生の頃に、盲腸で手術1回受ける。

かなり痛くて大変だったのを覚えてる。

 

詳細 ー 第2章

 

 

◆高校生の時に、心臓発作。

21才の頃、心臓手術する事になる。

手術は3回行って、完璧では無いけど98%まで良くなってて

通常の支障がない生活にやっていけるのと、仕事が出来る範囲になれた。

 

詳細、- 第3章

 

 

◆高血圧を発覚して、数年に掛かってやっとの克服。

2005年の頃、大好きだったおばあちゃんへの恩返し、

実は、僕は生まれた時から、ずっと僕のことを大事に育ててくれた。

心臓が悪い上に病弱だったので、おもちゃが欲しい。と言えば、すぐ買ってくれるくらい優しいおばあちゃんだったんだ。

どころが、ある日に、ボケになりだしていたのは知らなかったけど、骨粗鬆症によって寝たきりになり、このキッカケで、僕から(この時、心臓が治っていたので)恩返ししなくちゃだなぁ。と思い、出来るだけ出来る範囲にして、ご飯を食べさせたり飲み物を飲ませたりしてあげてた。

いつの頃か?おばあちゃんが、時間も分からくなっていてただ、僕のことを名前で呼んでて起こされるようになってて、僕は仕方なく寝ずに2年半くらい起きていた。

もう、24時間体制のヘルパーな感じになってた。寝るという時間の事さえ忘れていた。

この頃かな?高血圧を発覚して、~中略~ 数年間、戻すのに苦労した。

色々あって、メニューも変え、カロリーのことも考えて全てが独自で変えた。

現在は、ご飯をガッツリ食べたいけれど、小食ながらも何とかキープとは言えないが

どうにか抑えて乗り越えている。

 

詳細 - 第5章

 

 

僕の人生は、まだまだ障がいと試練がいっぱいあるけれど・・・・

乗りこなきゃいけないから、今は、ひたすら前を見てるくらいかなぁ?

やりたい事がいっぱいあるけど、今は楽しくしている時間だけが大事に使ってる気持ちです。