-第2章-
― 小学生時代 ―
小学生時代は、徐々に心臓の状態が悪く。。。。
この頃は、心臓発作が時々、遭っていたので苦しかったのをよく覚えてます。
心臓発作になると、数日間、勉強が出来ない状態。
回復するにも凄く大変だったのを覚えてます。
自分で通学する力がなくて、いつも父親が送り迎えしてくれてた。
通ってた頃は、「ことばの聞こえの教室」という場所で勉強してました。
理由は、僕があまり言葉の使い方や発言とか、よく出来てなくって
文章の使い方とか、綴り方がおかしかったみたいです。
祖母・両親から先生から聞いたんだけど、
それまでは、独自で手話を使ってたんだそうです。(汗)
あまりの手話の表現の仕方が上手だったみたいで、
先生が親に「誰かに手話を習ったんですか?」
両親は、「いえ!この子が自分で手で表現するようになったんです。」と言ったんだそうで、
現在では、自分自身覚えてません。。。(汗)
5年生の頃は、急にお腹が痛くなり、激痛になってきて母に訴え、病院へ行き診察したところ
盲腸だということが分かり、数日に手術成功して数週間には退院しました。
5年生以降は、急に心臓の状態と体力が厳しくなり・・・
とても通える状況でなかったため、逆に先生から家庭訪問して来てもらって、勉強をしていました。
その頃は、1日3時間だったのを覚えてます。
それが毎日、月~金まで勉強を頑張ってた。
― 中学生から高校生 ―
中学の頃は、家庭訪問してもらって、勉強が5時間にして頑張っていた。
僕は、身体がだんだん衰弱してて、ほとんど動けず・・・
自分の部屋、布団の上にいて勉強机を置いて勉強する形でした。
これ以上すると、心臓発作が出やすくなっていたし、なってしまうと回復するのに
非常に大変でした。
回復して、動ける時は、出来る所まで勉強して頑張って励んでいたのを覚えています。
そして、
高校生の頃は、3年間養護学校へ父親の車に乗って通学して
学校へ着いたら、車椅子を乗り換えて先生が押してもらって
教室に入って、出来るだけの事を5時間勉強していたのを覚えています。
3年間を終えて、養護学校だと障がいとして扱ってあまり職場に取っては良くなくて
18才の時に、急に心臓発作により動けず・・・
救急車に運ばれて、病院へ入院。
よく車で使われるスピート狂がやる「ニトロン」(汗)
これを、注射器で少々打たれて、心臓発作を急速に落ち着かせるお薬だそうで・・・。
僕は、2回打たれました。(涙)
何日か精密検査をして、心臓手術した方がいいと・・・
成功率がわずか40%と。。。かなり危ういので手術せずに
数週間の間に、検査やカテーテルを含めてカルテにして、東京女子医大へカルテと紹介書と
一緒に送って、返事を待つという形になって、心臓発作せずに無事に退院。
何とか動けるようになり、
もう1年間だけ延ばしてちゃんとした大きな養護学校へ行き進学して頑張っていた。
19才になって、ようやく東京女子医大からの返事が入って
5月頃だったかな?東京女子医大へ入院し、以前に送ったカルテがあまりに雑過ぎて
資料にならないと医者が怒っていたのと、再度、入院中にカテーテルやレントゲン等を
全部終えるのに大変だったけど、頑張ったよ。
その結果、院長先生や手術する担当医と両親と心臓の状態を詳しく聞いた後、
僕へ、その内容を教えてくれました。
東京女子医大なら、手術で98%の確率に大きからした方がいいと言われ
その時に、僕は決意をしました。
その頃は、身体検査と言う流れだったので、一旦、退院して