-第1章-
― 1976年12月24日[ 時間不明 ] 新潟で生まれる ―
現在は、4人兄弟の中で僕が兄です
母と祖母から聞いた話しか覚えてないけど。。。
心臓障がい(ファロー失調症)・難聴障がいを持って、未熟児として生まれました。
右耳は、鼓膜は生きているものの全く聴力が無いとの事。
左見は重度の難聴により、ドレミの音階には大丈夫だったそうです。
あまりの未熟児だった為、身体が太って大きくなるまでに入院という形だったらしく
祖母から聞いた話
祖母が心配で、毎日様子を見に行っていて
しばらく間は、よく泣く子だったみたいで、僕が泣くと周りが泣き出すという
僕が邪魔だったそうで別の個室に移動されてて、祖母はそれを知らなくて探しても
僕の姿が見当たらなくて、ナースへ内容を聞いたら祖母が怒って
私が面倒しますんで返して下さい!と僕を抱っこして退院してきたそうです。
私が面倒しますんで返して下さい!と僕を抱っこして退院してきたそうです。
そこからですね。
母と祖母から聞いたところ、抱っこしようと思っても腕を組んで持つのが通常なんだけど
片腕を組んでも、僕の身体があまりに小さくて全部落ちてしまうという・・・
顔の大きさから言うと、湯飲み茶碗くらいだったそうで
身体がホントに人形のようで、足もかなり小さく指で摘んで持ち上げて
おむつを取り替えるという感じだったそうです(笑)
新潟から、石川県へ引っ越して
おもちゃの車を乗って駆け回っていたそうです。
2・3才になり、右目が痛いと合図だったのかな?
その辺は覚えてないんだけど、すごく痛かったみたいで母、祖母が気づいてすぐに病院へ連れて
診察した結果、右目が癌に侵されてます。左目も近いし神経も繋がっているので、もしかすると、全
摘出の可能性有りますとの事だったそうです。
摘出の可能性有りますとの事だったそうです。
大学病院では難しいので、東京がんセンターへの紹介書を渡しますのでそちらへ行って、入院して
ください。と医者から言われました。
ください。と医者から言われました。
祖母と父親と僕とで東京がんセンターへ行き、診察の結果は、同じ診断でした。
母は、実家で仏間で祈りに祈ってて消えることを祈っていたそうです。
僕が入院中にも祖母が消えることを願って側に付き添ってくれてました。
祖母がその時の様子を医者の内容とか丁寧に言い聞かせてくれてたのを覚えてます。
数日後に本番の両目を全摘出する手術に入り
医者が、手術前に再確認として、右目の癌があるかどうか?
超音波で確認してみたら、どこにも見当たらず、左目も当て見たが見当たらず・・・
右目は、網膜剥離という病名を付いての失明として
奇跡的に癌が消え、左目は転移も無く無事だということを確認され、
手術せずに退院と言う形になって、無事に実家へ
ずーっと、癌の再発もなく、すくすくと育ててくれました。
奇跡的に癌が消え、左目は転移も無く無事だということを確認され、
手術せずに退院と言う形になって、無事に実家へ
ずーっと、癌の再発もなく、すくすくと育ててくれました。
― 幼稚園時代 ―
この時の頃は、
補聴器を持っていたんだけど興味がなくて付けたがらない自分だったみたいです(笑)
アニメが始まると、補聴器を付けて何気なく聞いてたと、、母と祖母が言ってました。
小学生時代になるまでは、無事にケガもなく順調に大きくなっていきました。
この時の頃は、
補聴器を持っていたんだけど興味がなくて付けたがらない自分だったみたいです(笑)
アニメが始まると、補聴器を付けて何気なく聞いてたと、、母と祖母が言ってました。
小学生時代になるまでは、無事にケガもなく順調に大きくなっていきました。